【第3チャクラ】自由とは自分の選択に「責任」を持つこと

先月、私は「自由と、自分勝手を履き違えた行動」にかなり怒っていた。(らしい笑)

実際は、氣にせず流れていたのだけど、その事象に意識を戻されることが何回もあったので、サインと受け取り、自ら過去に戻ってみることにした。

すると、かなり怒っている私がいたのです笑

今日は、怒りの体験から第3チャクラをテーマにお話ししていきます😊

第3チャクラは「自分の意思決定」に重要なチャクラです。

「〇〇したい!」という意欲の根源だったり、夢を叶える過程で、たくさんの選択肢を見極め選ぶためのになります。

私を含め、多くの発信者が「やりたいことをやろう!」と伝えています。

この言葉の意味は、「やりたいことをやる」と同時に「やりたくないことをやめよう」と解釈することもできます。

「やりたくないことをやめよう」という言葉は、とても曖昧で、解釈を間違えると無責任な行動になってしまうと思うのです。

第3チャクラにおいて、私が師匠から頂いた言葉で心に残っているのは自由には責任がともなうという言葉です。

そうです。

自由には責任がともなうんです。(大事なので2回言うw)

要は、自由自分勝手全く別物なんですね。

ここで、私にとって責任とは何かを改めて考えました。

私にとって責任とは、自分の行動の結果全てを引き受けることです。

これは「やりたい!」と思った行動の先に、どんなことが待っていても全てを引き受けるということです。

例えば、「バンドをやりたい!」と行動したとします。

でも、人間なんだから途中で「やりたいことが変わる」ことなんて、当たり前にあると思います。

最初は「バンドをやりたいと思っていた」けれども、「自分には合わなかった」と氣づいた時。

1人だったら問題はないですが、もし自分が集めた仲間がいたらどうでしょう?

それも自分が夢を語って、賛同して集まってくれた仲間だとしたら…

あなただったらどうしますか?

私だったら、「最後までやりきる」という選択をします。

それは、当時の自分との約束を守りたいからです。
そして、例え自分の本当の意に背いたとしても「やり切った先に、答えがある」と知ってるからです。

または、「仲間にしっかり話して、自分の思いを理解してもらう」という選択をするかもしれません。
もちろん、理解されないこともあるでしょう。もしかしたら その選択で一生の友を無くすことだってあります。

それでも、相手に理解されなかったことを怒るのではなく、自分の選択の結果だと受け入れることが「自由には選択がともなう」ということだと思います。

どちらの選択も自分に対しても、相手に対しても「誠意」を感じられる行動です。

誠意がない自分勝手な行動」は、私には「逃げ」だと写ってしまうんです。

私が冒頭でお話しした怒りの事件は、「自由と自分勝手を履き違えた逃げ」の行動をされたからです。

自由と自分勝手は、全く違います。

自分勝手にやりたいことをやるのは、相手を裏切る行為です。

自分勝手な行動は、相手を傷つける以上に自分を傷つけることになるんです。

「全てが正解である」という世界線の視点で考えると、もちろん逃げてもいいです。
でも、逃げてる人は「空っぽ」で、行動しても行動しても「中身が何もない」という不安をいつも抱えることになります。
一時幸せが訪れても、中身がないからすぐに不安になります。

そして、きっといつか今以上に膨れ上がった代償が待ち受けて「もう逃げられない」という状況が押し寄せてくるのです。

それは結局「自分自身が1番傷つく」行為です。

自分の選んだ道全てが正解ですが、あなたはどちらを生きたいですか?

ちなみに、逃げの人生は法則的に「幸せが遠い」と思います。
劇的な人生を選んできてる魂は遠い方がいいのかもしれませんが…笑

私は近道したいので、これからも逃げずに進んでいきます!

そろそろ逃げずに、「自分軸で生きたい」と思ってる人は 次なる「つきのこ。」さんかもしれないですね〜

…なんてね😇

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