執着とは「愛」なのかもしれない

7か月間のチャクラジャーニーが終わり、久々のブログ更新です。

大きな転換期が来ています。

大切な人とのお別れ。

ひとり立ち。

そんなことを経験しています。

前から、道が別れる予兆を感じていたけど

別れが怖いから

氣づかないように、見ないようにしていました。

無意識のうちに。

でも、そんな自分を見過ごせなくなって

あらゆることが重なって

見なければいけなくなった。

それは必然に。

氣づいたら、すーっと手放すことができて。

手放さないことが違和感。

改めて思ったのは、

私はバウンダリーを意識するようになって、相手を尊重できるようになったけど

本当に大切な人とは、境界線をはっきりと決められないということ。

境界線を持ちなくないし、持てなくなるのかも。

それは、私の良さでもあり、最大の弱点だとも思った。

俯瞰してみると、「これは執着だったのかもしれないな」と。

でも、今までの執着とは種類が違う氣がする。

なくなることへの怖さは同じなんだけど、なんとなく違う。

顕在意識では、

「なくても大丈夫」

と理解してたけど

心では

今までの思い出や関係性が、手放すことを恐れてた。

それは、「愛なんだ」と思った。

私への愛、相手への愛

今回の執着は、深くて重くて、そして軽かった。

いざ、新しい旅のはじまり。

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