怒りの感情は面倒くさい

おはようございます!

昨日、沖縄旅行から帰ってきましたぁ〜✨

クリアリングできて、最高でした🥺🫶

また沖縄旅行については、別で報告しま〜す🏝️

さてさて、今日は「怒りの感情は面倒くさい」という話です。

私は日々の感情を逃さないようにしています。

何か感じたら、あえて押さえ込まず「とにかく感じ切る」ことをしているのですが、最近怒りの感情にダイブすることが面倒に感じてきたのです。

たとえば、電車で足を踏まれたときに、その相手から「謝罪のポーズ」がなかったことに怒りを感じました。

帰宅後、怒りの感情をなかったことにせずに、「むかつくーーー!!」と昇華しました。

以前だったら、そのプロセスを踏むことでスッキリしていたのですが、今の私にとっては、そのプロセスの過程が面倒に思えてきたんです。

そこで氣づいたのは、わたしは感情を俯瞰できるようになったから、わざわざダイブしなくていいステージにたどり着いたということです。

むしろ感情と繋がりすぎていると、重くて不快になってしまったんです😂

昇華した後に後味が悪い…そんな感覚です。

「感情を感じ切る」というプロセスは、自分の感情を知る手段ということが分かりました。

いつまで感じ切ればいいのかという明確な答えはありません。

自分の中の「快or不快」が教えてくれます。

自分自身を繊細に感じ取っていきましょう✨✨

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